- オープニングから笑ってしまう
- 笑ったと思ったら怖くなる
- パターソンさんの人柄
- 双子が意味するもの
- 意外なあの人が出現⁉︎
- 女の子が好きなカイロ・レン
- 行く河の流れは絶えずして
- 「a~ha!」の意味
- 心に刺さる言葉
- 祖父ダース・ヴェイダーの言葉
スターウォーズのカイロ・レン(悪役)と結婚すると、
こんなにもステキな日常が送れるのね(はぁと)
そんな妄想が堪能出来るステキな映画でございます。
もちろん、カイロ・レンはファーストオーダー(悪い敵軍)の最高指導者から、、、
バスの運転手に転職済みです(笑)
そんな冗談はさておき、あのカイロ・レン役のアダム・ドライバーが、パターソンというニューヨーク郊外の街でただのバス・ドライバー(運転手)だったらどんな感じか体験してみませんか?
そんなお話をスタイリッシュな奇才ジム・ジャームッシュ監督がお送りするちょっとオシャレな大人の映画です。
(ドライバーがいきなり掛詞になっていてちょっとシャレてる、オシャレな映画だけに)
スターウォーズとはまた違った(あ、でもちょっとシンクロする)味わい深い世界が広がります。
*注意【ここからネタバレ】
オープニングから笑ってしまう
冒頭から、アダム(パターソンさん)と奥さんが1つのベットで寝ているところが上から映されて、
まるで絵画のような美しいシーンですね。
このシーンは映画のポスターにもなっているので引き込まれやすい。
ベット横に置いてあるポートレイトがまさかのアダム本人の海兵隊時代の顔写真だったので、
思わずくっそ噴いてしまった(笑) アメリカのテレビでアダムへのインタビューでネタで使われていたから。
映画館でブハッって噴いたので隣の人に申し訳なくてあわててハンカチで口を覆った事態になった。 あとはむせて誤摩化したが、周囲に迷惑になってないかほんとにアセった。
「アダムの映画だから感動してきっと泣くだろうなあ」と思ってあらかじめ用意していたハンカチだったのに、
まさかの泡噴いた口を抑え、冷や汗を拭うことになるとは思いもしなかった。
あそこにアダムのまだあどけないかわいい軍隊時代の写真を置くとか、監督のアイデアなの?アダムのアイデアなの? 笑い殺そうとしてるの?
・・・あとになって気がつきましたがこの写真、テレビのインタビューで紹介してる少年アダム海兵隊時代のものではありませんね。
映画の方で使われたものは(アダムが演じる)パターソンさんの写真。 最近のアダムが映画用に撮り直したものなんでしょうね。
ここで、パターソンさんはかつて軍人だったことがうかがえます。
パターソンさんは退役軍人だったんですね。
笑ったと思ったら怖くなる
どこに書いてあったか忘れたんですけど、この映画のカテゴリーが【コメディ】ってなってたと思うんですけど… 冒頭は確かに笑いましたが、あとは全編に渡ってBGMがオドロオドロしい。怖い。
今にもアダムがカイロ・レン化して奥さんを刺し殺すんじゃないかって、ビビりまくるシーンありましたいっぱい。
なぜそう思ったか…
・奥さんが朝起きない
・朝食を用意しない
・アダム用のお弁当が変な色のマフィンでいつも○ばっかりの模様でびっしり(気持ち悪い)
・アダムが仕事から帰ってくる度に部屋のどこかを○ばっかりの模様でびっしり塗りまくる(気持ち悪い)
・夕食の「芽キャベツとチーズ入りのパイ」がくっそまずい(アダムが必死でパイをのどに流し込んでる)
・奥さんギター始める
・白黒のギター&白黒デザインの服&白黒デザインのソファー
・奥さん週末カップケーキ作って売り出す
・カップケーキのデザインが○ばっかりの模様でびっしり(もういいぜ)
・奥さん自由過ぎる
・白黒が過ぎやしないか
そんで終始オドロオドロしいBGMがかかっている。
アダムが、パターソンさんがいつキレて十字の赤いライトセーバーで奥さんをバッサリ行くのかヒヤヒヤしていた。
コメディだとばかり思っていたが、ホラー映画なんじゃないかと疑い始めた理由がまだある。
・双子
・日付のテロップ
・アダム(パターソンさん)が詩人(芸術家)
・いつも行くBARの壁にパターソン市の有名人の記事を貼りまくっている
これって、【シャイニング】ですよね。
ホラー小説の大家としても知られるスティーブン・キングの原作をあの「2001年宇宙の旅」の監督でも有名なスタンリー・キューブリックが映像化した作品。
美しい絵画のような映像と、鮮やかな鮮血と、残酷さが印象的なサイコホラーです。
アダム…パターソンさんがベットで起きた時に奥さんが「双子の夢を見たの」から始まり、パターソンさんの出勤(徒歩)中に双子の爺さんに挨拶したり、バスの前を双子の黒人の姉妹が通ったり、乗客の中に双子の姉妹がいたり、、、
まさに【シャイニング】思い出してゾッとなりました。 なぜ双子が怖い演出なのか…西洋では不吉の印とされる(日本でもあるらしい)ので【怖い】がより印象づけられる効果があるのかもしれない。
日付のテロップ…シャイニングも「土曜日」「日曜日」「月曜日」・・・って一日ごとにシーン分けされていた。
パターソンさんも「月曜日」「火曜日」「水曜日」・・・って一日終わるごとにテロップがあった。
きっと「金曜日」あたりでパターソンさんが十字ライトセーバー持ち出して来て、ドアをぶち破り、その向こうに怯えた奥さんがいるんですねわかります!
それと、パターソンさんが詩人というのもシャイニングチックだった。 本家【シャイニング】では奥さんを殺そうとする旦那主人公は【作家】で、仕事のルーティーンの合間にタイプライターで執筆をしているのだ。
パターソンさんも日々のルーティーンの合間を見つけては詩作に耽り白紙のノートにペンで詩を書き綴っている。
そして、パターソンさんが毎日夕食後に犬の散歩がてら立ち寄るBARには、マスターが趣味でパターソン市の著名人の新聞記事の切り抜きなどをペタペタ貼りまくっている。
シャイニングも主人公の管理しているホテルの壁に過去のホテル思い出の写真があちこちにペタペタ貼りまくられている・・・
これだけ状況証拠が揃ったぞ!さあ、これはホラーだ!奥さん殺される!!!!!
パターソンさんの人柄
パターソンさんは、奥さんの壁にかけられた絵画に「はぁ…」とためいきをついたりもするが、いたって静か…
奥さんを朝起こさないようにして(でも首元に濃厚なキス)、丸いフレーク(これまた奥さん好み)を一人食し、静かに出勤、街の人に挨拶し、同僚のグチも聞いて、最近気になるマッチ箱のことをポエムにしたためる…
帰ってくる度に奥さんにキスをする、奥さんはまた丸い模様を部屋に増やし、夕食も失敗気味、さらにはギター欲しいとねだりに来る… それでも奥さんにニコニコ、穏やかな口調で「いいね」って。
もう・・・涙出て来る・・・
というか、何も起こらない。 何も怒らない、と書いた方が良いかな。 パターソンさん、いたって静かに、にこやかに、日常の起こりうる全てのことを受け入れていく・・・
これは何も怒らない(起こらない)ホラーなのか?
双子が意味するもの
最後まで観終えると、映画全体にパターソンさんの詩的世界が重要なテーマであることに気がつきます。 映画がパターソンさんの「詩そのもの」と言ってもいいかもしれない。
双子…私は最初「ホラー」の方で意味を取ってしまったが、最後まで観ると別の意味があったことを知る。
双子…つまり【二重の意味】ではないだろうか。
日本の俳句などにおける【掛詞】のようなもの。
映画の中では「韻を踏む」というセリフがあった。
同じような言葉を繰り返す、言葉にダムルネーミングを課す・・・
そもそも、双子には不吉な印という意味がある一方、珍しい転じて神の子という意味もあるらしい。
実は冒頭、奥さんが「双子の夢見た」話から、この夫婦にやがて双子が生まれ、男の子がルーク、女の子がレイアになるのかと本気で思ってしまった。
おっと、まて、ふざけていない・・その手を離してく れ・・・
(ルーク、レイアは尊い子じゃん)
とかいう、良い意味もあるなあと思いながら観てたっけ。
冒頭にも書きましたが、主人公がバス・ドライバー(運転手)で、主人公の役者がアダム・ドライバーで韻を踏んでる。
奥さんの好きな模様が白と黒…これも二重(ダブルネーミング)であることを暗示する記号かなあとか。
パターソンさんの好きな詩人の名がウィリアム・カルロ・ウィリアムズで「ウィリアム」が繰り返し。
パターソン市に住むパターソンさんも韻を踏んでる。
それから、アダム・ドライバーがスターウォーズのカイロ・レンであることも示唆してる部分を感じる・・んだけど。アダム・ドライバーがパターソンであり、カイロ・レンであるという二重性として。
意外なあの人が出現⁉︎
パターソンさんが仕事終わりに必ず行くBARに、黒人のカップルがいる。 2人はマスターからロミオとジュリエットと呼ばれている。
何回かBARで出会ううち、ロミオとジュリエットはいつしかぎこちない関係になり、やがてジュリエットがロミオを捨て去ってしまう。
ある日パターソンさんがBARへ行くと、ロミオが、
「愛が無い人生なんてなんの価値もない」
と言い出してピストル自殺を図る。
ロミオが頭に銃を突き付け、まさに引き金を引こうとした瞬間、何者かが急に飛び出し、ロミオを引き倒して手から銃を奪う。
その勇気ある咄嗟の行動をした人物はなんとパターソンだった。 いつもニコニコ、何があっても動じず、静かな大人しいパターソンさんが、警察官か軍人のような素早さと機敏さで動いていた。
カッコよ過ぎてシビれたし、息を切らせて上半身をあげたその顔は、ま、ま、まさに、
ベン・ソロ!!!
ジェダイかと思った。
ヒーローに見えた。
激しく動いたので、前髪が乱れ、アップにしている髪が降ろされた。
結婚して落ち着いているオッサンではなく、
キリッとした若者に見えた。
スターウォーズの若きスカイウォーカー、ジェダイのベン・ソロはまだ見たことないが、きっとこんな感じの人だろうと、映画館でこの上なく興奮したのを覚えている。
女の子が好きなカイロ・レン
仕事帰りのパターソンさんが、一人でいる可愛い女の子にふと眼がとまり話しかける。
やっぱりカイロ・レンは歳の離れた可愛い女の子をナンパせずにはいられないのだろうか
保護者に、
「身長190センチくらい、ウェーブのかかった黒髪、推定年齢30歳、白人。 バス運転手の作業着を着て、10歳の女児に話しかける事案発生しました。 保護者の方はくれぐれも注意・・・」
て一斉メール配信される事案です。
我が国日本では絶対こうなりますね(笑)
カイロ・レンは、いや、パターソンさんは女の子が書いている「詩」に興味を持ち出す。 女の子は自作の詩について丁寧に解説を始める。
「水が落ちる」っていうのよ。
アタシの詩の題名
「水が落ちる」ね
滝じゃないの。「水が、落ちる」よ。
2文字なの
「水が落ちる」か・・・
女の子の顔が違うのは気にしないように
ちなみにこの女の子も双子です
しばらく水が落ちる詩を朗読されて、すっかり魅了されてしまうパターソンさん。 何がそんなにすごいのか、ここではちょっとよくわかりません。
そのあとに、パターソンさんが奥さんにこのことを報告しますが、若い女の子と話したのでちょっと嫉妬されてアタフタする彼が垣間みられます。
その時のやりとりで、パターソンさんが「滝」が好きなことがわかります。 パターソン市の一大観光名所になってる滝と、いつもパターソンさんがお昼の休憩の時に観ている滝が一致してくるのです。
女の子は「滝」ではなく、「水が落ちる」と詩で言い換えてました。 女の子は「水が落ちる」ことは女性の長い髪が肩に落ちるように自然な現象と捉え、 また水に映る街の風景として捉えています。 これは一体どういうことなのか?
行く河の流れは絶えずして
ラストシーン。 日本人の永瀬正敏さんが登場して来ます。 例の街の観光名所にしてパターソンさんの憩いの場所、「グレートフォール」と呼ばれる滝の前で2人は出逢います。 永瀬さんはどこからともなくやってきた通りすがりの人です。
いままで書き留めていた詩の詰まった大事なノートをバカ犬マーヴィンに破り捨てられ、赤い十字ライトセーバーも使わずにじっと我慢していたパターソンさんがついに癒しを求めて滝の前に座っていた時に永瀬さんが現れました。
永瀬さんとパターソンさんが詩について語り合っているのを何度か観ているうちに、私の中で「滝」のイメージが鴨長明の方丈記「行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」が自然にわいて来ました。
「滝」も「河」も同じ水である。 水はいつも流れている。 でも水は一瞬一瞬変わっていく。
私たちの日常はいつも同じように見えるが、一瞬一瞬を切り取っていくと全く同じではない。 少しずつ変化していく。
仏教用語で「諸行無常」という言葉がある。 様々なものはいつも同じではないということ。
パターソンさんが、「月曜日」「火曜日」「水曜日」・・・ と同じようにバスでぐるぐる街を回っているが、常に全く同じ毎日ではない。
「a~ha!」の意味
通りすがりの永瀬さんが語る
「フランスの画家ジャン・デュビュッフェはエッフェル塔で気象観測隊員だった」
「ウィリアム・カルロ・ウィリアムズは医師」
永瀬さんはアレン・ギンズバーグの名も出して意味ありげにパターソンさんに話しかける。
これら名をあげた人々は皆、詩人である。
それぞれに様々な職業を持った人だけれども、詩人であることが共通している。
詩人であることに職業は関係ない。
詩の世界は自由である。
永瀬さんがパターソンさんに「あなたは詩人か?」と聞くと
パターソンさんは「違う。バスドライバーだ」と答えた。
それに対して永瀬さんは詩人というのは職業を越えたところにあると示唆していると思われる。
心に刺さる言葉
「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」
英語は英語で理解しよう。 本質を見極めよ。
この言葉は、その後の展開に続く「詩とはなにか」について繋がって行くと思われる。
「白紙のページに広がる可能性もある」
永瀬さんがパターソンさんに「贈り物」と言って白紙の手帳を差し出す。
犬に手帳をバラバラにされても詩は書き続けられる。
私はマーヴィンが手帳をバラバラにしたのは単に夫婦に映画に行かれ独りぼっちにされた報復というだけではないように思える。
監督自身が、「詩とは何か」「詩を作るとは何か」を伝えるために、マーヴィンに手帳を破壊させたと考えている。
パターソンさんの詩は奥さんも認めているように優れた芸術作品だ。 奥さんに勧めに従って、コピーを取り、出版社に持っていって発表すれば賞を取れるかもしれない。 少なくとも、売れるかもしれない。 だが、監督がこの映画で語りたかったことはそこではない。
発表すること。 出版すること。 有名になることは二次的なこと、あるいは意味がそれほど無い。
創作することそのものに意味がある。
日常の中の非日常性。
詩は精神世界の自由である、と。
祖父ダース・ヴェイダーの言葉
パターソンさんの祖父がよく歌っていた古い歌
「君は魚になりたいかい?」
最後にパターソンさんが新しい手帳に書き綴った(であろう)詩はなんとなくスターウォーズを感じてしまった。 個人的な感想ではあるが。
パターソンさんはきっと魚になりたいんだ。
なんで「魚」なんだろう?
彼はずっと滝を観ていた。
その滝を自由に泳ぐ「魚」になりたいのかな。
同じようなところをぐるぐる動き回る魚だけれども、精神は自由にそこらじゅうを泳ぎ回る魚になりたいのかな、
シスもジェダイもスカイウォーカーも関係ない、カイロレンという新しい名で、
銀河という大海で自由に泳ぎたい。
精神の解放を求めてる彼のもう一つの役柄について語ってるかのようだ。
ふとそんなことを思った。
*パターソン市や滝「グレートフォール」については、こちらに詳しく書いてあります↓↓