Lime's Blog

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カイロ・レンが父親になる物語?を観たよ【Hungry Hearts】

ハングリー・ハーツ(字幕版)

**ネタバレございます。映画自体はR指定じゃ無さそうですが、このブログの内容が若干R指定かもです。いずれにせよ閲覧注意です。

意外と最後まで観れる

現在上映中のスターウォーズ/最後のジェダィにて、ダース・ヴェイダーの跡を継ぐ新悪役キャラとして大活躍のカイロ・レンに扮するアダム・ドライバーが、

約4年前に父親役をしていたと聞いて、その作品を観てみました。

相手役の母親を演じるのは実績のあるイタリア人女優アルバ・ロルバケルさん。賢そうだけど繊細な目つきが印象的な美人さんです。

第71回ベネチア国際映画祭で最優秀男優賞と女優賞をそろって受賞したサスペンスドラマ。ニューヨークで出会い、恋に落ち、そして結婚した2人。ほどなくして子どもも授かり、幸せな日々が続くはずだったが、妻は結婚を機に少しずつ外の世界に対して過剰な敵意と恐怖心を抱くようになっていく。夫はなんとかして愛する妻と子を守ろうとするが……。
ハングリー・ハーツ : 作品情報 - 映画.com引用

・・・という内容なので、

・夫婦&親子関係なドメスティックもの

・子育て

・内容が重い

という三拍子揃っちゃって、私がとても苦手なやつじゃん!!!

結婚してて、子供もいて、毎日が生活に追われて大変な私にとって、こういう映画観たら現実逃避出来ないじゃん!!ストレス解消にならん!!! 普通なら観る選択肢はあり得ない。

それなのにこの映画を観る情熱にかき立てられたのは主演男優がアダム・ドライバーだったからに他ならない。

スター・ウォーズでは全身黒い衣装を身にまとい、フォースで相手を苦しめ、ライトセーバーをバッサバッサ振り回している大悪人が、

いったいどんな父親役をやるんだろう? カイロ・レンは映画の中で自分の父親を殺していたのに、彼はどんな父親になるの?

と興味津々で仕方が無かった。

とはいえ、暗い内容を示唆するこの映画、苦手要素満載なのに最後まで視聴出来るかヒヤヒヤモノだった。

されどその不安はあっけなく裏切られ(いい意味で)、

気がついたらエンドロールまで行っていた。

**R指定ココから注意**

恋愛はトイレから

まずオープニングは2人がレストランのトイレに閉じ込められるシーン。

いきなり男女が2人きりでトイレ。下ですよ。

アダム・ドライバーが便座のある部屋から出てくるんだけど、彼のウ○コの臭いが強烈過ぎてトイレの洗面所に充満しちゃって、順番待ちしていた(後の奥さんになる)女性が鼻つまんで

「ふざけんなゴルァ!」

みたいな感じで始まるって、どうよ?

アダムも「本当にすまない。食べた魚が悪かったかも」とか言いながら泣きそうに慌てる演技がもう可笑しくて可笑しくて・・・

ただでさえ可笑しいのに、スター・ウォーズのカイロ・レンを想像するとあまりのギャップに腹筋崩壊から酸欠状態になります。(これ、暗いお話じゃなかったかしら?)

相手の女性が鼻を押さえながら嫌そうな顔してるんだけど、アダムが慌てふためきながらも女性に話しかけたり外へ携帯で連絡を取ったりして対応してる様子が、なんとなく頼りがいがあって男らしいんですよね。 女性もだんだん打ち解けて来て最後は笑顔になり・・・

外から開けてもらってなんとか脱出した!!

観客もホッとしたつかの間、

次のシーンではいきなり2人がベッドシーン!

まあ、そうなるだろうとは思った。思ったさ。

だけど、2人でニューヨークのマンハッタンをアイスクリームとか食べながら談笑したりとか、

雪の降る街灯の下で、手編みのセーターを彼の首にかけたり、

2人が交互に見つめ合って手と手を合わせて幸せ〜なシーンとかは?(それスターウォーズな)

それ全部省略なのかよ!!!

と画面に向かって叫んでいる間にも、アダムがミナ(相手の女性ね)の上に乗ったかと思うと、いきなりベッドシーンですよ!!!

このシーンでミナは子供を作ることをちょっと躊躇していて、アダムの方は奥さんをとても愛しているとともに子供も欲しいんだなと。この時点で2人の意識に差異が生じてることを暗示していますね。

それから、結婚式の2人。祝ってくれる仲間。 アダムが奥さんに愛の歌を歌うシーンが観れます。

マイクの前ではにかみながら歌う笑顔がちょ〜〜〜〜っと若い頃のハリソン・フォードぽいかなと個人的に思った。

そしてアダムのお母さん。 レイア姫・・・ではなくて、お母さん役が登場するんだけど、同じイタリア映画のホラーでダリオ・アルジェント監督の「Profondo Rosso 」に出て来たカルロのお母さん(殺人鬼)に似てたので「やっぱホラーぽい」と思った。 (この予感が最後的中したね)

カルロのお母さんじゃなくてアダムのお母さんがミナのことを「とてもいいお嫁さんね」とか言いながら彼女に家族構成を聞くシーン。

そこでミナにはお母さんがいないことがわかる。父親はいるがあまり役に立ちそうにない。 これから子育てをしていくにあたり、彼女の実家の援助が受けられないことをさりげに示唆している。

そして誰もいなくなったパーティ会場の厨房(?)で、2人が激しく求め合うシーン。

そんな情熱的なシーンでいきなり、銃声音が鳴り響く。

(2人の行為とシンクロしているところが意味深ね)

鹿が店の外で撃たれて死んでいる。

撃った犯人はゆっくりあるいて遠くへ行ってしまった。 私はあれはアダムのシルエットじゃなかったかと思っている。

鹿って、イタリアでは「子供」を意味するんじゃなかったかしら。

子供が死ぬ。父親が殺す?

これはミナの夢だった。 そんな夢を何度も何度も観る。とミナがアダムに話すところから物語はエロモードからサスペンスへと転換していく。

フォースの力を信じないベン・ソロ?

ミナは自分の赤ちゃんが「インディゴの子」…地球を救うために別次元から来た子…だと信じるようになる。 バカバカしい…と思われるかもしれないが、私も自分の子供が「特別な能力を持った子」じゃないかと本気で思ったときがある。母親ならだれだって一度は思うんじゃないかしら。

自分の息子は特別な子・・・と主張するミナに対して夫のアダムは、

フォースの力を信じないアダムさん

念力で物を動かせるのか?

強く否定したりもする。 でもすぐ奥さんに対して理解を示そうとする。 とっても優しい、いい夫なんだよ。

ミナはおかしくなってしまった。

自分の子は特別だから、特別な育て方をしなくてはならない。

生まれた赤ちゃんにすり潰した野菜しか与えない。 母乳は4ヶ月でとっくに出なくなってしまった。 ミルクも肉も与えない。それは毒物だから。

赤ちゃんは当然のようにやせ細り、身体も大きくならない。

「同じ年の他の子よりも成長が遅いんだよ」

だからミルクや肉を与えないといけないよ、と主治医や夫のアダムが言ってもミナは一向に聞こうとしない。

ミナどうしようもね〜な〜。

と思ったりもしたが、献身的にミナを支えるアダムの父親っぷりを見ているとだんだんだんだん自分の夫のことを思い出して来て・・・

記憶が4年ほど遡った。

長男が小学6年生。 都立中学と私立中学を受験する。 あの頃の私は息子に厳し過ぎた。 夫がそれをたしなめていた。 息子は精神的に追いつめられていったと思う。

たしなめる夫が嫌いだった。 言うことを聞かない息子にイライラした。 私は「自分は息子の将来を思って正しいことをやろうとしている。私は間違ってない。」 常にそう思っていた。 私の意見に反対する人は許せなかった。

こんなに子供のことを思って、ちゃんとやっているのに。 自分のことを犠牲にしてまで、ちゃんとやっているのに。 なぜ、夫は私を理解してくれないんだろう?

受験は結局失敗した。

私と夫は離婚しようということになった。

こんな悲劇が4年前にあった。 それを思い出した。 ちょうど映画のシーンと実体験が重なって、ツラく重い気持ちになった。

鹿が殺される夢…子供を父親(アダム)が殺してしまう。 ミナの育児に否定的な夫に対してそんな風に考えてしまう描写がかつての自分と重なるし、怖いシーンだった。

だが、あの頃の自分が少しおかしかったかもしれないと冷静に観ることが出来た。

私たち夫婦は、離婚することは無かった。 中学受験は失敗したけど、3年後の高校受験はうまくいった。 我々家族は乗り越えたけど、この物語は悲しい結末を迎える。

この物語は、悲しい結末を迎えることによって、子育てについてより深く考えさせる作品になっていると思う。 ハッピーエンドだったら、たんなる子育てノウハウ映画になってしまうだろう。

おかしくなってしまったミナ(母親)を夫のアダムがこのうえなく献身的に支えて、しかもアダムの母親もサポートしている理想的な環境であるにもかかわらず、

ミナが立ち直ることも無く、悲劇を迎えてしまう。

誰の言うことも聞かなくなったミナをアダムの母親つまりミナの姑が殺してしまう、という結末もいろいろ考えさせられる。

映画では「殺す」という極端な方法をとってはいるが、現実的に子育てがうまくいかない母親に対して「あらあら、何やってるの」と厳しい目を向けて来る最大の存在は姑である、という暗示的な表現ではないだろうかと考える。

まとめ

オープニングから、

出会い(トイレ)→恋愛(直接的表現)→結婚→子育て

というプロセスが余計な部分を極限までそぎ落として描かれている。

出会いから結婚までがダレること無く進むので、肝心の「子育て」の部分までにたどり着くのがスムーズで見ていて飽きがこない。それによって、テーマがより浮き彫りになっている。

ただ、ミナがなぜあのように育児ノイローゼになったのかの詳細が私にはよくわからなかった。

ラストが「ミナを殺す意外に無い」という決着に意味を持たせるために、原因とかにあまり時間を割かなかったのだろうか。

原因が何であれ、対策(夫の献身や姑のサポート)が何であれ、ミナが死ぬしかなったという解決に育児の難しさ、母親の苦悩の深さをみせたかった作品なのかもしれない。

アダムがめっちゃいい夫だった

映画の内容は途中から暗く、ツラいシーンが続くが終始アダムがめっちゃいい父親でそれが救われる。 奥さんに怒鳴ったり殴ったりもいっさい無く、早めに仕事から帰って来て一緒に寄り添う。

激しく意見が対立しても「悪かった・・・愛しているよ」と奥さんに言葉掛けをする。 自分の母親がミナに対して意見を言おうとすると「ママ、やめろ」とミナをかばうシーンもあった。

現在のアダムよりちょっと若く、スター・ウォーズ/フォースの覚醒を撮ってたときの前後くらいなのかなあ。

カイロ・レンが初めてマスクをとった時の若くて王子様ぽいアダムの面影があった。

だけど、カイロ・レンぽい感じはしなかったな。 本当にお父さんみたいだった。 子供をあやしてるときのアダムは、本当にいい父親で心からほっこりした。 でっかいアダムがちっちゃい子供の手をとって、何かしら歌を歌ってあげてた・・・すごくいいシーンだった。

この物語は私自身の過去の暗い子育ての歴史さえも思い起こさせた。内面に深く訴える作品だ。 今さらながら、我が夫に対して深い感謝の気持ちに絶えない。