LIME's Blog

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父親が亡くなりました

去る、7月14日の夕方でした。

末期がんの闘病の末、自宅のベットで息を引き取りました。 私が、最後に父の顔をタオルできれいに拭き取りました。

それから、4ヶ月間近くブログを書けませんでした。

まず、7月14日直後から葬儀・納骨・相続関係手続きが矢継ぎ早に続き忙しかった。

その間、自分自身が病気になってしまった。

8月の夏休み期間の丸1ヶ月、原因不明の頭痛と首周りの神経痛で病院通い。 寝たきりのときもありました。

9月にようやく起き上がり、そこから1ヶ月かけて父の所得税の申告業務をこなしました。

父は個人事業主なので、毎年確定申告が必要。 毎年私が代行業務を担当していた。 確定申告は、毎年3月15日が提出期限なのだが、死亡時は死んだ日から4ヶ月以内に申告しなければならないので、急がねばならなかった。 死亡時の確定申告を、準確定申告という。

10月になってようやく準確定申告(死亡時の所得税申告)手続きを終了。

現在に至る←今ココ(NEW!)

忙しくてブログが書けない・・・自分にとっては前に向かって生きていないのと同じでした。

逆に言うと前に向かって生きようという気持ちが持てないのでブログが書けなかった。

父が亡くなった7月はブログを止めようと本気で思った。

好きな福田組の作品を見るのも止めようと思った。

好きな特撮シリーズも観るの止めようと思った。

息子たちのこれからの大学進学・・・どうでもいいと思った。

7月末くらいまでは、自家用車に乗って赤信号の交差点に進入し自死しようとさえ思ったことがあった。 (そう思っていたので、絶対に自家用車を運転しなかった)

そんなことを思っていたら、後頭部に激痛が走り数日間寝込む事態となった。

内科に行っても「原因不明」だったので血液検査を行った。

その血液検査の結果を見ても「原因不明」。

医師は「たぶんお父様の亡くなったことによるストレス性のものでしょう」と。

内科では治らないので接骨院へ行けと。で、接骨院でも

「たぶんお父様の亡くなったことによるストレス性のものでしょう」と。

それから丸1ヶ月接骨院通い。頭と首の施術治療を受けた。

つらい1ヶ月だった。

今思うと、その原因不明の頭痛は父がもたらしたものかもしれない。

私の体が元気だったら、自死しかねなかったものね。

寝たきりだったから、ゆっくり休めて、また元気を取り戻したのかもしれない。

それほど私は父が好きだったし、尊敬していたし、親孝行したかった存在だった。

父は73歳で亡くなった。

7月30日の誕生日目前の14日に亡くなった。

高齢化社会の日本では、長生きとは言えない年齢だと思う。

父は生前「あと10年は生きたい」と語っていた。

さぞ、悔しかったろう。もっと生きたかったろうに。

余命宣告は前年2016年の11月末。

「あと半年」と主治医から宣告された。

その日、父が泣きながら電話して来たのを覚えている。めったに人前で泣かない父が。

その時点で父の肝臓のほとんどが、がんに冒されていた。

原発は膀胱がんであった、その後、前立腺へ転移。

2016年2月に膀胱と前立腺を全摘出しており、その後の肝臓への転移であった。

もうその時点で絶望であった。

その後に、私の息子たち、父にとっては孫たちの受験があった。

私にとっては息子たちの受験&父の末期がんという苦境にさらされたのであった。

つらい、つらい日々だった。

父は余命半年の後でも仕事をし、車に乗っていた。

孫の塾への車での送り迎えをかって出てくれた。

その塾への送迎の道筋がなんと父の葬儀場から火葬場への葬送の順路と偶然同じであった。

父の霊柩車後方のハイヤーに乗った私は父の遺影を持ちながら、車窓をながめていて気がついた。

「この道、お父さんが塾の送り迎えで走っていた道だよ」

父との思い出がまた溢れ出し、涙が止まらなかった。

次男が第一志望の都立中学に合格したのは、父のおかげでもある。

わたしがなげやりになってはいけない。

そう思いとどまるために、前向きに生きるために、またブログを書き始めた。

前向きに生きるために、今一度、父の亡くなったときから思い出を整理していきたいと思う。

父が今年退院して、自宅で緩和ケアに入り、亡くなるまでを綴っていきたいと思う。

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